惑溺としての格差社会論

現在、格差社会の問題として取り上げられている諸問題は、つまるところ貧困問題と労働問題に帰着する。
したがって、現在、格差社会の考察に向けられているエネルギーは、貧困問題と労働問題の考察と解決に振り向けられる必要がある。
このように言うと、げんに格差は存在するではないか、あいつは金持ちの家に生まれついたのに自分はそうではない、あいつらは正社員なのに自分らはそうではない、それらの総称としての「格差社会」論にはリアリティーがある、といった反論があるだろう。それはもっともである。
しかし、問題は、その現状をどのように打開するかということである。「格差」を言いつのることは、そこからむしろ人の目をそらすように機能する。打開の道は貧困問題や労働問題の具体的解決にある。
「格差」にこだわることによる袋小路はあきらかである。そもそも、人は生まれる親を選ぶわけにはいかず、それぞれ異なった個体として生まれる以上、「格差」のない社会は存在しないからである。(SFの中には存在するかもしれない。)