市野川容孝「社会的なものの概念と生命―福祉国家と優生学」(『思想』908号、2000年2月)の要約

 ノートしておいたものをネットに上げることにします。非常に重要かつデリケートなテーマですので、読者の皆様におかれましては、できれば原文に当たっていただきたいと思います。なお、小見出しに番号を振っていることを申し添えます。


一 社会的なものの概念
 19世紀以来、「社会的」という言葉には、資本制の弊害をあぶり出し是正していく規範的な含意があった。しかし他方、20世紀前半のドイツや北欧で優生学は、まさに社会的なものの概念に支えられた社会国家=福祉国家の中で現実化されていった。

二 シャルマイヤーとカウツキー
 ドイツ優生学の中心人物の一人シャルマイヤーは、文明が発達するほど人間の淘汰が阻害されると唱えた。その対処法として、疾患や障害が次世代に伝達されないための制度作りを提唱した。ドイツ社会民主党を率いたカウツキーは次第に優生学に傾斜していった。

三 ワイマール共和国
 ワイマール憲法は社会国家に基礎を与えたが、その建設は同時に優生学の具体化に拍車をかけた。

(1) 人間の生命の国有化
 ワイマール共和国は、家族の役割だった子育て等の社会化=国有化を目指した。人間を国有化する指向は後のヒトラーの目標とも共通するものだった。

(2) ゲルリッツ綱領
 1921年、ドイツ社民党はゲルリッツ綱領を採択した。討論過程で、クナック医師の、強制断種を含む主張も出てきた。これは障害や疾患を持つ人の必要よりも社会全体の必要に応じた人間の再生産を優先するものだった。

(3) 実現した政策
 1920年の戸籍法改正で優生学のパンフレットを該当者に配布することとなった。既婚者や婚姻予定者に優生学的助言を与える相談所も各地にできた。ナチスの優生政策はワイマール期の延長線上で理解されねばならない。

四 スイスと北欧の優生政策
 北欧諸国の社民党1920年代に次々と政権を取った。そうした中で優生政策も現実化していく。

(1) スイス
 欧州初の断種法はスイスのヴォー州で作られ、これは強制的去勢手術を含むものだった。続いてベルン州でも、優生学的理由による不妊手術を認めた。精神科医マイアーは講演の中で、「社会的」な福祉対象者の削減を語っている。そして当事者に対し、不妊手術を退院の条件として脅迫的に同意を得ている。

(2) デンマーク
 1929年、社民党スタウニング政権は断種法を作った。1933年の「公的扶助法」は知的障害者のケアの費用全てを国が負担するもので、優生政策拡大の引き金となった。1934年の「精神薄弱者の処遇に関する法律」は施設入所を本人と家族の意に反して強制することを合法化し、不妊手術への本人同意も不要となった。

(3) スウェーデン
 1934年のハンソン社民党政権は断種法を作った。精神病患者等への不妊手術に本人同意は要らなくなった。理由は、彼らが自己決定能力を期待できないとされたからである。優生学者ホフステンは報告書で、本人同意に基づく不妊手術で優生政策を拡大すべきとし、子育て能力のない者にも不妊手術をすべきとした。その「同意」も、施設待遇改善の条件や福祉サービスを受ける条件として提示されたケースなど問題が多かった。

五 社会的なものの概念の再検討
 19世紀の「社会的」なものの概念は20世紀に入って、福祉国家を作るとともに、優生学の具現化を基礎づけ、社会全体の利益を名目とした暴力を正当化した。では社会的なものの概念はいかに再構成されるべきか。社会的なものの概念が位置づく場である社会圏は、市場とも親密圏とも公共圏とも異なる。重要なのは、親密圏と公共圏の意義を確認しつつそれらと社会権との緊張関係を作ることである。生命を育む場である親密圏は、社会圏に抵抗する場として鍛えられる必要がある。正義の原則を作り出す公共圏では、生−権力に解消されることなく生命をあらしめる原則が追求される必要がある。その際個人の自己決定を下支えする諸原則や物質的条件が確保されねばならない。「社会的」なものの概念を保ちつつそこに潜む暴力に抵抗する場を確保することが課題である。