小熊英二『「日本型」近代国家における公共性』(社会学評論200号、2000年)の要約

(※以下、ブログ表示のテストもかねて、自分なりにまとめてみた。何かの参考になれば幸いです。関連ページ:http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/morimori_68/20070922など)


 日本における公共性はいかに作られるべきか?

1.国民国家形成の類型

     身分制の消失度
        強
  合衆国  |  フランス
弱――――――――――――強  中央集権度
  イギリス |  プロイセン
        弱

2.近代国家における国民国家形成

 中央集権制の系列に中間集団が組み込まれ、中間集団内では個人がしばられたのが明治国家である。

(1) 国と地方自治

 地方の共同体は解体され、政府の下部組織として再編された。

(2) 福祉制度

 地域の相互扶助を解体し、国家の主導で福祉制度を作り、中間集団(家族や企業)を利用した。

(3) 警察

 警察は近代化に当たりパターナリスティックな役割を果たした。中間集団(町内会など)が、取り締まりに協力するものとして作られた。

(4) 教育

 教育制度は、個人のエネルギーを学歴取得による社会的上昇の方向にのみ解放する役割を果たした。社会的上昇の度合いは政府との近さによって計られる、という意識が育った。

 (1)-(4)の傾向は、総力戦体制期に著しくなった。戦後改革で分権的になったが、揺り戻しも多かった。

3.「公」のありか

 中間集団は個人をしばった。個人がそこから逃れるには、中央に近づくか、集団から遠ざかるなどの形しかなかった。中間集団と国家は、その癒着ゆえに公共性の場とならない。日本における公共性構築の展望は、共同体の再建が同時に国家からの独立となる方向にある。近代日本が、国家とその下部組織以外「公」を持たなかったことと向き合う必要がある。