ガーディアン紙が村上春樹のイェルサレム賞受賞について書いた記事を訳してみた

気が向いたので、イェルサレム賞を取った村上春樹氏に関するガーディアン紙の記事を訳してみた。元の記事全体のURLはこちら。
http://www.guardian.co.uk/books/2009/feb/16/haruki-murakami-jerusalem-prize

試訳は以下の通り。

村上、イェルサレム賞受賞への抗議を無視

アリソン・フラッド

2009年2月16日(月)、国際標準時11時36分

お手盛りに見えるが…村上春樹イスラエルの大統領シモン・ペレスエルサレムの第24回ブックフェアーに出席した。


 日本の作家村上春樹は昨夜イスラエルで、社会の中における個人の自由のための高名な文学賞イェルサレム賞を、親パレスチナ人グループの反対にもかかわらず受け取った。

 村上は、日曜日の夕方、第24回イェルサレム国際ブックフェアーの冒頭で、「『社会における個人の自由』の観念を最も表現し増進させる」作品の著者に与えられる、1万ドル(7万ポンド)の賞を受け取った―『ノルウェイの森』『海辺のカフカ』『ねじまき鳥クロニクル』を含む一連の作品によって。それらの本はみなイスラエルのベストセラー・リストに入っている。

 前もって、ある親パレスチナ人グループからの公開状が村上に、受賞とブックフェアーへの参加を考え直すよう要請していた。「どうかあなたの注意をパレスチナ人に向けてください。パレスチナ人はその自由と尊厳とを否定されているのです」。手紙はパレスチナ・フォーラム・ジャパンからのものだった。「私達は恐れ入りつつあなたに、あなたのイェルサレム賞の受賞がもたらすであろう効果を熟慮するよう要請します。世界はどんな種類のメッセージをこの中東情勢の中で受け取るでしょうか。それはイスラエルに対してどんな種類の宣伝価値と、パレスチナ人が直面している決定的な情況をいっそう悪化させる可能性とを持ちうるのでしょうか。」イスラエルに対する学術的・文化的なボイコットを求めるパレスチナ人のキャンペーンも、村上に対して賞を受け取らないよう要請するものだった。

 ステージの上でイスラエル大統領シモン・ペレスイェルサレム市長ニル・バーカットの脇に立った村上は言った。彼は、出席について「若干の意見」を受け取り、ここに来た最大の理由は彼の本を読んだイスラエルのファンに感謝することだと言った。

 イェルサレム・ポスト紙は村上の言ったことを引用している。「私がこの賞を受けるよう頼まれたとき、私はここに来ることについて警告を受けた。ガザでのあの戦闘のせいである。私は自問自答した。イスラエルに来ることはなすべき正しいことなのか? 私は一方の側を支持することになるのだろうか?」「私はいくつかの考えから受けることにした。そして行くことを決めた。大半の作家がそうであるように、私は言っていることの逆を正確に行うことを好む。それは作家としてのわが性分のうちにある。作家は自分の目で見ず、自分の手で触れないあらゆるものを信じない。だから私は見ることを選んだ。私はしゃべらないことではなく、しゃべることを選んだ。」

 つづいて村上は人を卵になぞらえる。「もし硬く高い壁があって一個の卵がそれにぶつかったなら、壁がいかに正しかろうと卵がいかに間違っていようと、卵の側に立つつもりだ。なぜか? 私達はそれぞれ一個の卵であり、独自の魂は壊れやすい卵の殻にくるまれているからである。私達のそれぞれが一つの高い壁に向き合っている。その高い壁はシステムであり、そのシステムは私達に事を行わせるよう強制する。通常なら私達が個人として行うのにふさわしいとは思えないような事をである。」

 村上によれば、私達はみな「人間であり、個人であり、壊れやすい卵なのだ」。村上は言う。「私達はその壁に対抗する希望を持っていない。それはあまりに高く、あまりに暗く、あまりに冷たいのだ。」「その壁と戦うためには、私達の魂をともに温かく、強くつなぎ合わせねばならない。私達はそのシステムに私達を支配させてはならない。私達が何者であるかを創作させてはならない。システムを作ったのはほかならぬ私達である。」

 イェルサレム賞に輝いた先行する人々の中には、ノーベル賞に輝いたJ.M.クッツェとV.S.ナイポールがいる。もちろん、アーサー・ミラーとマリオ・バルガス・リョサミラン・クンデラも。賞の組織者たちは言う。「読みやすく、しかしわかりにくく」、「芸術的達成と人々の愛を得るための心からの尊敬が届かないように」記述しているとみなした村上を選んだのだと。「村上のヒューマニズムは彼の書くものの中に明確に反映されている」と。


たいへん微妙なトーンである。もちろん、包括的な評価はスピーチの全文がわかってから行う必要があるのではないか、ということはあるが。