『大学で何を学ぶか』について

おとといの日記の抹消部分からの続きです。浅羽通明『大学で何を学ぶか』(幻冬舎文庫)[→bk1amazon]は、基本的には中高生や大学生に向けて書かれた本なのだろうと思うのです。ですから、やはりその観点から本書は論じられるべきでしょう。(もちろん、こういうようなネットライターの自戒の材料として読むことはできるし意義はあると思います。)
さて、宮台真司は『世紀末の作法』(角川文庫)[→bk1amazon]の中で、

中高生時代から大卒後の志望決定についての試行錯誤を重ねることを推奨したほうがいい
と言っています。ここでは言及されていませんが、この点は大事だと思います。
[追記。引用部分は、「中高生時代から(大学時代まで)大卒後の志望決定についての試行錯誤を重ねることを推奨したほうがいい」という含みがあるようにも読めます。]
id:kurosawa31さんがおっしゃる通り、知識人のランキングだのマッピングだのは僕もくだらないと思っています。僕がなぜ浅羽や宮台を論じているのかというと、ここを読んでいる読者、とりわけ中高生や大学生の読者に、『大学で何を学ぶか』(幻冬舎文庫)[→bk1amazon]だけ鵜呑みにしないでほしい、『世紀末の作法』(角川文庫)[→bk1amazon]による的確な批判があるということを知ってほしい、大卒後の志望決定についての試行錯誤を重ねていってほしい、という思いがあるわけです。