「世間」と対応するのは家族だとか

PR誌『ちくま』のバックナンバーを読んでいる。
斎藤環氏の連載はとても興味深い。
日本では「個人対社会」という問題設定が成り立たず「確立されていない個人対世間」という問題の立て方が必要だという人がいるが、氏によればむしろ「家族対世間」という契機が重要だというのである。
言われてみれば確かにその通りだという気がする。