植村和秀『丸山眞男と平泉澄』(柏書房)

 植村和秀さんの『丸山眞男平泉澄』(柏書房)を読んだ。
 植村さんによる丸山の位置づけはたいへん面白い。彼によれば、丸山には三つの側面があって、それは、
(1)筆で世の中を動かそうとする政論記者
(2)日本思想史の研究家
(3)政治にコミットする一市民
ということになる。この観点からたとえば吉本隆明による「批判」への応答(応答しないという応答)の理由について興味深い解が与えられる。
 一方で平泉澄皇国史観は歴史神学と位置づけられる。これは、忠臣の系譜に連なって万邦無比の國體を守るべくコミットせよと要求する宗教的世界観であるから、人はこれを受け入れるか拒否するかの二つに一つであり、中間はあり得ないのである。かくて平泉は戦後野に下り歴史学の主流から見事に消えることになる。
 植村さんは立論にあたり「われわれ」という言葉を使う。こうした修辞に接すると、私は「われわれ」の中に含まれているだろうか、と思う。結論から言うと、私は「われわれ」の中に含まれているという感じはしなかった。植村さんが論を進める主体を「私」などとするのであれば、私も納得がいっただろう。
 植村さんは「はしがき」で、

「丸山に心情的には共感できるが、しかし論理的には納得できない。平泉に論理的には共感できるが、しかし心情的には納得できない。」
と書いている。しかし、本書の全体を通読すると、この表明は文字通りには受け取れない。彼は、丸山の「判断」を、「国内的」事情を優先させすぎることをもって批判しているのに、その批判に使った物差しを平泉には全くと言っていいほど使っていないからである。(だから、読者は、本文から先に読まれたほうがいいと思う。)
 とはいえ、本書で紹介されている平泉澄の言はたいへん興味深いものだ。
人はまごころによって動く。神仏も人のまごころで動く。(中略)あの人の言うことなら信頼できる、絶対安心だ、そういう人と人が結び合うことだ。(中略)それが国を興す運動につながったときに、本当の運動となる。
 私は平泉が助言した「国家主義運動」の担い手ではないが、こうした言はやはりどこか琴線に触れるものがあると言わざるを得ないのである。