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唐沢俊一さんが松文館裁判についてコメント。
http://www.tobunken.com/diary/diary.html

今回の敗訴は、あきらかに法廷戦術のミスであったと思う。新聞はどこも、被告側が宮台真司斎藤環といった文化人を特別証人として法廷に呼び、証言をさせたということを報じているが、こういったマスコミ文化人というのは、一般人の無知・無教養を指摘して皮肉ったり小馬鹿にしたりということを芸風にしている連中である(人のことは言えない、私なんかもその一員である)。事実、宮台氏の証言内容を読んでみたが、法律家に向かって法解釈を説く(宮台真司証人尋問調書第4頁)などというのは、彼らのプライドを傷つけて憎しみを抱かせる、被告側にとっての自殺行為でしかない。これだから学者というのはダメなのである。法律の権化を以て任じている裁判官たちが、こういう人たちの言を聞いて素直に“ああ、自分たちのわいせつに関する法律的認識は古かった、自分たちは愚かであった”と思うか、と言うと、そんなことは絶対にない。裁判は朝まで生テレビとは違うのである。裁判官をいくらバカと証明しても仕方がない。法廷の場に立った時点で、こっち(被告)の運命を握っているのは彼らなのだ。そして、まずいことに宮台氏が言っていることは100パーセント正論である。人間、最も相手に対し憎悪を抱くのは、正論で論破されたときである。正論を述べるにもTPOというのはあるのである(感情的被告擁護論者の諸君、あくまで“法廷戦術”のことを言っておるのだからね)。
このあたりの問題は難しいです。
斎藤環インタビュー
ひきこもりと日本文化について語ってます。
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_top.cgi/3efd49787c28301004d5?aid=p-goro272405645&tpl=dir/01/01041000_0034_0000000005.tpl
清水幾太郎
amazonのレビューより。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4275003020/250-5384829-0798603
最近、清水の『倫理学ノート』(1972)が講談社学術文庫で復刻された。本文は大して読む価値はないが、ロールズを研究している(したがって政治学者ということになる)川本隆史が「解説」で清水の「変節」を同情的に解釈しているから、小熊の説と比べてみるとよい。