読書など

清水幾太郎
『清水幾太郎著作集10「運動」の内外/私の心の遍歴』(講談社)を読む。
「講和会議に寄す」や「内灘」におけるアジテーションの何と激烈なことか。
たとえば、「講和会議に寄す」は、このように締めくくられる:

平和を望み願ふには、私たちは、先づ国内に平和を守る政治的権力を作り上げるだけの実績を持たねばならぬ。この実績を忘れて、反動的政権を存置せしめ、朝鮮の動乱によつて巨利を博する資本家を活動させておいて、外に対して平和を祈る傾向があつたのは、顧みて滑稽と評するよりほかはないであらう。今後は、ともすれば軽視された、この平和を守る政治的権力を国内に作り上げることを専一にせねばならない。若し国内にかかる権力が生れるならば、そして、それが成長するならば、単に理想と合せぬのみか、更に、現実の事情にも即しない講和は、やがて、その重量を変ずるであらう。それを信ずるのでなければ、私にとつて、日本にとつて、明日といふ日は存在しない。
(*原文は旧字)
木尾士目
はてな界隈で話題の、木尾士目げんしけん(第一巻)』(講談社)[→bk1amazon]を読む。痛々しいモラトリアムの話だと思った。
それにしても、この著者の(『陽炎日記』だの『四年生』だの『五年生』だのといった)「自分の恨みつらみをぶつけてきた漫画」ってのにすんげー興味わいてきたっす。こんどマンガ喫茶でも行くかな。
http://www.walkerplus.com/tokyo/20021220/bo1354_pkup.html
■ビバ抑圧
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040109-00000402-yom-soci
■メガネ属性でお腹いっぱい
http://d.hatena.ne.jp/kowagari/
■夏目の目に映る岡崎京子
http://www.webpoplar.com/beech/041/index.html