鴻上尚史『ヘルメットをかぶった君に会いたい』

鴻上尚史『ヘルメットをかぶった君に会いたい』(集英社、2006年)
 劇作家・演出家である著者が30年以上前のニュース映像を観て、そこに写っていた女子活動家に会おうと駆け回る話。どこまでが事実でどこまでがフィクションかわからないのだが、そこがまた面白かった。様々なエピソードのちりばめ方から著者の才が感じられ、一つ一つのエピソードから、著者の等身大ぶり、深み、フットワークなどが伺える。
 内ゲバボスニア紛争などの残虐な話も出てくるので、そういうのが苦手な方にはお薦めしない。実は私も苦手なのだが…

森毅『学校とテスト』

 森毅『学校とテスト』(朝日選書、1977年)は好エッセイ集である。
 ついこの間物故した著者は軽妙で洒脱なエッセイを書く数学者として知られている。その通りだが、人と社会についての深い洞察がその根底にあるからこそのものである。
 なんか数学をやる気になったよ!
 さて、本書にはほとんど全編にわたって名言が飛び出している感がある。
 著者は「たかが試験で」というスタンスをよしとする。励ましにも戒めにもなるというのだ。この場合の励ましとは、失敗しても力を落とすなということで、戒めとは、成功しても調子に乗るなということだ。なるほど。
 以下、引用は引用符で明示する。
 “小学校でデキる子が高校でデキる子と限らないというのは、「デキる」が海面上だけで測られているから”だね。
 “〈アホラシイけどヤッテミルんだ〉というのは…優秀な資質” “人間文化…は、概してそうした心情のもとに発達してきた”だね。
 “大学〔の定期テスト〕でぼくは、他人の答案を見ることを奨励することさえある。わからんかったら、わかってそうな人…を探して教われ、…わかるまで教われ、なんて言って回ることもある” なかなか思いつかない柔軟な発想である。
 テストは本来アソビ。著者はここで、ホイジンガホモ・ルーデンス』の参照を求めている。

 “入試というものは、一に要領、二に度胸、三四がなくて五に運次第”
 “良質のテストほど、…運動量を精密に測定すれば位置のユラギが生ずるように、点数のユラギが必然化する”
 “「いい社会生活」を送るのに、「いい大学」を出る必要はない。…階層社会における統計的現象としては、「いい大学」の出身者が多いというだけのこと” “「いい大学」を出たからといってなにも未来を保障されたわけではない” “雨の日に蛙が鳴くからといって、蛙が雨雲を呼び寄せたりしないようなものだ。”
 “自分が自分として成長することこそが教育”
 “〈標準〉というものは、本来的に批判さるべきものとしてあるべき”森先生らしい素晴らしい見識である。
 例えば、教室に教科書を数種類そろえるといったことについて“いいことだからこっそりと、自分のところだけでやるというのがゲリラ的発想である。それなら、すぐにもできる”
 “科学をみずから獲得していくことこそが、人間性を回復する” “デカルト流にいうと、何びとといえども、かわりにわかってくれる者はいないので、自分でわかるよりない”
 (著者の授業は)“ヨミキリを原則としている。…ヨミキリ原則というだけで、ずいぶん〔授業に対する〕考え方が変わる。”
 “本を読むことは、知識をうるためというより…「自分のあたま」を変えるため”
 “妙な「教師根性」…よりは、自分が生徒であったときのサボリのココロを復元するほうが、ずっとよいことだ。”だな。
 “経験や知識の多い人ほど「アリノママにまちがう」勇気を持っている傾向は事実である”
 “一年間で一回だけでよいから、授業をとおして研究をしてみること” “〈研究〉というのは、たいてい「勉強不足」で行われるものである”
 (進学高の場合)“学習目的といったものが、入試といった擬似目的に変えられて、それゆえに強力な等質化を強制している”
 版元はこういう本をちゃんと流通させたほうがいいと思う。今となっては、時代背景等の解説が必要な箇所もあるけれども…。

より良い自己イメージを作るには

 ジグ・ジグラー(著)田中孝顕(訳)『成功イメージ・プログラム』(きこ書房、2007年)は、より良い自己イメージを作るための本である。
 本書の山場は第5章の、自己イメージを作る24の行動にある。それらの中には、サクセス・ストーリーを読むこと、大きな目標を立てて実行するときにはいくつかの中間目標を作ること、人びとに奉仕すること、成功した体験を思い出すこと、想像力をフルに使って理想の自己を作ること、思い切って人に物事を尋ねること…などがある。2つでも3つでも、生活の中に取り入れるといいと思う。
 訳者のポリシーなのか、普通「能力」と書くところを「脳力」と書いてある。言いたいことはわかるような気もするが一瞬ギョッとする。そのあたりも含めて訳者のねらいなのだろう。
 本文の中身を全て吹き込んだCDが付いているのは大きなメリットである。通勤・通学のときなどに聴けば「読む」必要はないかもしれない。
 それにしても、著者の体験談は―およそ体験談というものはほぼそうだが―興味深い。著者が職を得たときのエピソードには、「その手があったか!」と思わされた。応用も利くし、いま就活中の多くの人にとっても励みになるだろう。

ドイツにおけるファシズム台頭の歴史に学べ―モムゼン『ヴァイマール共和国史』

ハンス・モムゼン(著)、関口宏道(訳)『ヴァイマール共和国史―民主主義の崩壊とナチスの台頭』(水声社、2001年)
 本書は、文字通り、ヴァイマール共和国第一次大戦後からナチスに乗っ取られるまでドイツに存在した、世界で最も進んでいるとされた憲法を持つ国家―の歴史を描いたものである。

 そのようなヴァイマール共和国がなぜナチスに乗っ取られたのかという問題に、主として、どの勢力にどんな選択肢があり得たかという点からアプローチした本である。

 これは4月初頭のノートブックを元にしてまとめたものだが、昨今のきな臭い政治的情勢を考えるヒントとして資することを考え、新しい日記欄に書くことにする。以下、本書の内容に入っていく。本書からの引用は引用符で明示する。

 第一次大戦後、キール軍港の水兵叛乱は、ほとんど全てのドイツの大都市に飛び火した。自然発生的に結成された兵士・労働者評議会〔レーテ〕によって、政治権力の掌握が行われた。“革命は不可避的となった。”

 “人民代表委員会政府はエーベルトヴァイマール共和国初代大統領〕という人物のなかに、いわば二重の正統性を有していた”。政府はほとんど解決不可能に近い諸問題と取り組んだ。具体的には、“動員解除、食料品確保、東方問題の解決、休戦交渉、経済生活の再開、財政再建であった。”

 “エーベルトは…洞察力と効率の良さを示した。”が、“決定的問題で戦術的柔軟性が欠如していた。”これが、1918年12月16日のベルリンにおける、レーテ全国大会での独立社会民主党内穏健派の敗北につながることになる。

 (1930年)“ブルジョア右翼政党の再編への萌芽は、大衆運動としてのナチ党の突破により潰された。…ナチ党は、反共和主義の有権者にとっては、既存の体制に対する他よりも首尾一貫した選択肢であった。なぜなら、ナチ党の宣伝は、…政治的方向を選択することと、経済体制問題では明確に態度を表明することを回避したからであった。”

 “ブルジョア政党や社会主義政党と異なり、ナチ党は、その使用できる全勢力を政治的宣伝に費やした。”具体的には、集会、野外演奏会、突撃隊の行進、共同の教会詣で、手紙作戦、絶えざるパンフレットの配布―そしてゲッベルスが最も得意とした宣伝映画。

 宣伝は様々な職業グループに対して別々に行われた。“党は早い時期から、人種的なユダヤ主義をあまりにも強調することは、…同調者の基盤であったブルジョア階級の有権者を驚愕させるということに気がついており…いわゆるユダヤ人の経済支配を論難することに活動を限定した。”

 “ナチ党は、他のどの政党よりも…階層を超えた運動となることに成功した。” “党はいかなる時点でも、その支援者を積極的な綱領に結びつけておくことはできなかった。…自由な選挙という条件下では、絶対多数を獲得することを期待することはできなかった。”

 (1933年に、ヒトラーの)“敵対者たちは敢えてナチ党を公然たる選挙戦へと引き込むことをしなかった。その選挙戦は、事情が同じであったら、〔ナチ党の〕壊滅的な敗北で終わったであろう。”

 (1931年〜1932の時点で)“失業が依然として自己責任であり、社会的汚点であるとみなされる社会”では、“大都市の窮状は…想像を絶するものがあった。「どんな仕事でもします」という看板を持って街頭を行く絶望した大衆、…わずかの支払いで時刻刻みで寝床を借りる大衆、…都市の暖房施設に逗留する大衆、…プロレタリアの酒場で、アルコールを飲む人びとを羨望の念をもってじっと見つめる大衆、富者のゴミ箱を引っかき回して食物を漁る大衆。”失業した青少年に対しては、共産党ナチスが受け皿となった。ナチスの突撃隊に入れば、食えるしねぐらも確保できるのである。

 (1932年頃)ヒトラーを手なずけられると思いこんでいた「保守」政治家たち。“極端に政治的方向性を失った場合や、対立関係の倒錯が見られる段階において、建設的な目標のために左右の抗議する有権者を取り戻すために不可欠かつ十分な個人的魅力を備えた強力な敵対者が、ヒトラーの他にいなかったことは、ここ数ヶ月の悲劇のひとつであった。実際に、選挙戦はファシスト独裁権威主義的独裁下の二者択一をめぐって、ヒトラーとフォン・パーペンとの間で戦われた。”

 このように本書は現代の政治を考える上でも重要な著作であるが、惜しむらくは、序文で触れられている「巻末の参考文献」が収録されていないことである。ここは何らかの手段―たとえば原書に当たること―で補うのがよいかもしれない。

 冷戦後を考察すれば―学ぶところが多かった本

 塩川伸明『冷戦終焉20年』(勁草書房、2010年)は冷戦後の世界、そして未来を考える上で学ぶところが多かった。具体的には、例えば、政治的自由を求める声が高まり体制がひっくり返った結果、経済的自由至上主義がまかり通るようになった旧ソ連とその周辺の事態は、我々にとっても決して他人事ではないということだ。その他にも、学ぶところが非常に多かったので、以下、箇条書きで示す。

・著者はこう指摘している。かつてロシア・ソヴェトを研究する人達は、親ソか反ソか以前にまずソ連を知る必要があり、それが第一だという共通の認識があったというのである。
(最近ある種の雑誌は中国や朝鮮をやり玉に挙げることが多いが、この件を考える際にも示唆的であろう!)

・著者によると、ロシア革命において唱えられた自由は、経済活動の自由というよりも政治的自由であった。「土地とパンを!」というスローガンの中の「土地」には、その公正さの契機が多分に含まれており、エスエル(社会革命党)の「農民的社会主義」はそれを象徴するものであった。

・著者は、革命の掲げる理念としての自由・平等・友愛・調和・効率・秩序などが完全に実現することはありそうにないが、だからといって何の意味もないわけではなく、ある程度ならば実現できるだろう、と言う。決してシニシズムに滑りおちたりはしない。考えてみれば当たり前のことだが…。

・“「ネオ・マルクス派」(あるいは「ポスト・マルクス派」)を名乗る人びとがマルクス…にさかのぼって批判的検討”をしているが、理論のみならず(現実に存在した)諸要因とてらしあわせて考える必要がある、と著者は言う。うなずける主張である。

・著者は、“ソヴェト(評議会)は…「民衆と権力の直接一体性」の観念のために…権力統制メカニズムが欠如”していたとする。この件に関して、
塩川伸明『現存した社会主義』II章3節の参照が求められている。


・重工業優先、軽工業・食品工業・サービス業の低賃金は、後者に女性が多かったことが大きかったと著者は言う。そして、“かなり広い層に…「ささやかな特権」が分配され…指令経済の限界をある意味で補完した”と続ける。さらに、ソ連によく見られたパターンとして、
労働力不足 → 労働強化 → 現場の抵抗でウヤムヤになる
ということがあったのだそうである。

ソ連の「民主主義」としての「上申」や「投書」システムについて。ブレジネフ時代にはブレジネフの引退提案まで出されたことがあるのだそうである! ともあれ、著者によると、ブレジネフ時代は原油が高かったから何とかやって行けた面が大きいらしい。

・著者は言う。“もともと経済改革というものは物価上昇、所得格差拡大、失業発生のおそれなどを伴い、…国民大衆にとっても歓迎されない側面をもつ”たしかに!

・いうなれば教皇でありルターでもあったゴルバチョフ。彼の後期の「社会主義」はすでに事実上、社会民主主義であった。この点について著者は、
アーチー・ブラウン『ゴルバチョフ・ファクター』(藤原書店、2008年)
などを参照するよう求めている。

(あまり関係ないが、私は、歴史における指導者の資質論を含む様々な意味で毛沢東が気になっている。そして私は、市場社会主義の挫折が理論的にも歴史的にも重要だと思う。著者によれば、コルナイ・ヤーノシュは自伝その他で経緯を語っているとのこと。なおコルナイはソ連型の共産主義を「早まった福祉国家」としている。やはり読む必要があるな…)

・中道路線の難しさについて。1917年のロシア二月革命から十月革命に至る急進化は、1991年、ちょうど逆回りに反復されたのかもしれない、と著者は言う。

・著者の言。「民主化と市場社会化」というが、この2つは分けて考える必要がある、とのこと。ここで、ロバート・ダール『デモクラシーとは何か』13-14章の、デモクラシーと資本制の間には敵対的共生ともいうべき関係があるという議論が紹介される。

・著者は言う。“経済面での市場経済化と政治面での権威主義との結合は…むしろありふれている”まあそれはそうだ。

・著者の紹介する岩田昌征の図式。三角形を考え、上に交換(市場経済)、左下に再分配(指令経済)、右下に互酬(協議経済)を置く。最も簡単なのは市場経済で、最も難しいのが協議経済(旧ユーゴスラビア)。指令経済はその中間。
 これに関連して著者は、ユーゴスラビア崩壊への痛恨の思いが描かれた、岩田昌征『現代社会主義・形成と崩壊の論理』(日本評論社、1993年)3章などの参照を求めている。

・著者は、社会には国家・市場・共同体の三つが必要であり、それぞれの併存・抑制・均衡が必要だとする井上達夫の議論を紹介する。具体的には、
井上達夫『他者への自由』(創文社、1999年)2章などを挙げている。

・著者は、“制度としてのリベラル・デモクラシー”の“あるべき実質化の方向としては、市民の政治参加を徹底させていくべきだとするラディカル民主主義論”(かつての「ソヴェト民主主義論」と似たところがある(!))と“市民的自由がどこまで実際に保障されているかを重視する政治的リベラリズム”の二つがあるとする。

・冷戦期の西側対東側という二項対立を乗り越えようとした努力は、冷戦当時からあったと著者は言う。具体的には“「中道左派」ないし「左派リベラル」、「非同盟」路線、あるいは「新左翼」など”だが、「西側の勝利」という大きな波がこれらを押し流してしまった観がある、と。確かに今はこの辺りはなかったかのようになっており、かろうじて雰囲気だけが残っているようにもみえる。

・ドイツの「歴史家論争」。これに関して著者は冷めている。著者はたしかどこかで、ノルテの問題提起は一筋縄ではいかないものであって、あれに浅いレベルで応答した結果がその後尾を引いている、という主旨のことを言っていたと思う。(日本の場合を考える際にも非常に示唆的だと私は思う。)
この件に関して著者が挙げている文献は、J.ハーバーマス他『過ぎ去ろうとしない過去』(人文書院、1995年)とヴォルフガング・ヴィッパーマン『ドイツ戦争責任論争』(未来社、1999年)である。

・近年の、いわば「社会的弱者がさらに弱い者を叩く」光景について。著者は、その一因を、広義の「左翼」「社会主義」が人の心を捉えなくなったことに置く。かつての「左翼」は、どうしてここまで深い幻滅が広がったか、反省する必要がある。反グローバリズム運動家等々は、ソ連等の教訓化を深めることをしていない。

・著者は最後に、ベネディクト・アンダーソン『比較の亡霊―ナショナリズム・東南アジア・世界』(作品社、2005年)から非常に印象的な引用を行っている。あえてここでは紹介しない。各自が本書をひもといていただきたいからである。

旧ソ連の教訓

 塩川伸明社会主義とは何だったか』( 勁草書房、1994年)は口に苦い良薬のような本である。旧ソ連は、マルクス主義に基づいた革命党によって生まれ、スターリン大粛清を含むジグザグの道を辿りつつ解体した。その蹉跌の経験を踏まえることなしにオルタナティヴはあり得るのか、あり得ないだろうという著者の意見はもっともである。これからの社会、これからの世界を考える人にぜひ読んでいただきたい本の一つである。
 以下、具体的に内容を見ていこう。

 著者は、スターリン主義の歴史的経験から学ぶ最大の教訓は、「敵を利さないよう自陣営の問題に目をつぶる」ようなことは止めたほうがよい、ということだとする。そして著者は、“共鳴する傾向に都合の悪いことを…軽く扱う態度は、長期的には運動の堕落を招く”と続ける。

 さらに著者はソ連の歴史を振り返りつつ、“あらゆる理想…は「歪曲」を伴いつつ現実化される” “とすれば、「歪曲」を伴った現実化こそが…理念の受肉された形”であり、“本来の理想の受肉があり得るなどと考えるのは空論”とする。言われてみればその通りである。
また、“マルクス主義者でも社会主義者でもなかった人の方が…「自由主義の危機」「資本主義の危機」について透徹した認識を持っているようにもみえる”とし、
井上達夫「自由をめぐる知的状況」(『ジュリスト』1991年5月1日)や竹内啓「『体制』としての資本主義と社会主義」(『世界』1993年1月)を挙げている。これは読んだほうがいいな…。

 そして著者は、真木悠介によるオルタナティヴな体制の二類型に触れ、現実的な改良としては、「コミューン」型ではなく「最適社会」型しかあり得ない、と説く。これも、言われてみればその通りかもしれない。

 著者は言う。“混乱のもとは、「善が(あるいは有能なものが)勝つ」という暗黙の前提にある。” “現実は、「善ではない資本主義が、それでも勝ってしまった」ということ”であり、その“苦さをかみしめなくては”と。

 では社会民主主義なのか。(ゴーデスベルグ綱領以後の)“社会民主主義路線の革新は労働組合…を基礎とした労働者の福祉向上にあった。…しかし、…エコロジーフェミニズムエスニシティー等々…に対し、伝統的な労働組合はむしろ保守的”とし、“大企業の正社員の賃金工場・地位安定・福利厚生は、それ以外の層の排除や資源の浪費、環境の破壊の上に成り立っているとしたら…矛盾がある”のであり、“この矛盾をどう解決するか”という重い課題を突きつけている。

 また、こういうこともある。“伝統的な社会主義思想は、社会主義こそが資本主義を上回る生産力発展をもたらし、そこにこそ優位性があると主張してきたはず”と。
(これに関しては見田宗介現代社会の理論』あたりでも何か言っていたと思う。要確認)

 “ソ連・東欧社会主義の蹉跌は、…理想主義的な運動に一般的に潜む陥穽とも関係するのではないか” “高い目標・理想を掲げる運動は一般に独善主義に陥りやすい”とも著者は言っている。まぁな…。

 そして、“自分のやっているごく狭いことが、…より広い社会とどういう接点をもつのか、また他の人々の営みとどのような共通理解を持ちうるのか”が大切だと著者は言い、“問題は社会科学における思想性の回復”とする。
展望があるとしたらこのあたりだろう。

やや更新

高畠通敏『政治学への道案内』が講談社学術文庫に入りましたので、過去のエントリー
id:tari-Gさんお薦め社会科学入門書リスト
http://d.hatena.ne.jp/morimori_68/20090308/p1
を手直しし、更新しました。