広河隆一『福島 原発と人びと』

 広河隆一『福島 原発と人びと』(岩波新書、2011年)を読んだ。

 著者のフットワークはすごい。福島県内の安全基準の問題、分断される住民、避難態勢の不備、政府の(責任を回避するための)「御用学者」というべき人の見解への批判などを、取材とそのフォローアップによって突きつけている。

 以下、具体的に引用する。

 ”Aさん*1は、年間二〇ミリシーベルトの基準値が示されたことに…保安院のBさん*2と名乗る人に電話で決まった経緯を聞いたところ「即答できない」「明日また必ず電話します」と切られ…翌日の電話で、結局「お答えできません」…「福島県外の人は年間一ミリシーベルトで守られて、福島県民だけは、年間二〇ミリまでは我慢しろってことなんですね」…「まあ、そういうことになりますね」”

 スリーマイルやチェルノブイリと違い、”日本で妊婦と子どもに対する先行避難を打ち出したのは、一部の自治体だけだった”

 ”首相官邸ホームページに掲載された長瀧名誉教授らの文書*3で重要なのは、三週間以内に亡くなった人びとが放射線による死亡と認められ、四週目以降に亡くなった人びとがそうとは認められなかったという点である。これほど不思議な話があるだろうか。東海村のJCO事故でなくなった二人は、八三日後、二一一日後”

*1:本では実際の名前だったが、ネットの特性を考え伏せることにした。

*2:同上

*3:http://www.kantei.go.jp/saigai/senmonka_g3.html

短編を書く清張さん

 阿刀田高(編)『松本清張小説セレクション33 短編集II』(中央公論社、1995年)は、1950-1960年代の、純文学的な短編を集めたものである。

 『断碑』や、芥川賞をとった『或る「小倉日記」伝』は、一つのことに打ち込む主人公のすさまじい生き方を描いたもので、いうなれば人生の味がする。

 編者の解注がまた過不足なく適切である。たとえば『菊枕』については、主人公のモデルとなった俳人・杉田久女じしんの伝記として読まれてしまいがちな問題があるとし、伝記としてもっと適切な、田辺聖子の『花衣脱ぐやまつわる‥‥』を推薦している。このあたりの目配りも良い。

元ネタが知りたいなあ

 井沢元彦『逆説の日本史18 黒船来航と開国交渉の謎』(小学館、2012年)を読んだ。

 まず何より、読み物として面白い。おそらく著者は意外な、興味深い参考文献を用いていると思われる。著者によれば、当時の日本は、ロシアやアメリカがいちはやく来た段階で開国交渉をしていれば、関税自主権領事裁判権などで不平等な条件を呑まされずに済んだだろう、なぜならば英仏その他と違って日本を植民地化するつもりはなかったからだ、とのことである。

 全ては後知恵…などと突っ込むのはヤボだろう。新幹線のお供に一冊という感じ。

興味深いが微妙なところもある―竹内洋『革新幻想の戦後史』

 竹内洋『革新幻想の戦後史』(中央公論新社、2011年)を読んだ。

 雑誌(『諸君』。休刊後は『正論』)連載中から、私は興味深く読んでいた。断片的なエピソードを単行本にするに当たってどうまとめるのだろうという点も興味深かったのだが、そこを著者は「自分自身をインフォーマントとする」質的調査として位置づけている。面白い試みだと思った。

 雑誌連載中にはおよそ次のような記述があった。「社会学屋の中には大物主義とも言うべきものがあり、自分はウェーバー屋だデュルケーム屋だと、研究対象がビッグネームであればあるほど偉いという風潮があった。自分はアメリカの中堅どころの労働社会学者で論文を書いていたのだが、仲間内から誰だそれはと怪訝な顔をされ…」といったものだった。これは単行本にはなっていないようである。掘り下げれば面白いテーマだろうと思う。

 教育学者DISについて。著者は、「かまえ」などの和語をキータームとして議論をする風潮をDISっている。しかし、たとえばハイデガーにしても日常語をキータームとして哲学を組み立てており(翻訳の過程で日常と縁遠い「専門用語」化が忍び込む)、むしろ望ましい傾向とも言える。わが国の社会科学・人文科学こそ、庶民の言葉と異なるジャーゴンを駆使しているという問題があると思う。(教育学における個々の議論じたいについては、批判的に検討される余地もあろうかとは思う。)
 「学部の争い」はまことに不毛である。社会学という学問じたいが、例えば経済学のような「確固とした」「洗練された」分野から上から目線で槍玉に挙げられることもあるようだが、そうした「江戸の敵」を教育学という「長崎」で取る感がぬぐえないのである。

 著者が絶賛している、長浜功『増補版 教育の戦争責任』(三一書房1984年)*1を読んだ。勇気をふるった貴重な仕事だと思った。(ただひとつ気になったのは、開講に当たって戦争協力への悔恨を語ることを常としていた宗像誠也に厳しすぎではないかという点だった。)

補足。大物社会学者云々については、同著者の清水幾太郎論に出ていた。

*1:原著のほうは大原新生社から1979年に出ている。

ヒトラーをめぐる謎とその解明

Ian Kershaw(著)石田勇治(訳)『ヒトラー 権力の本質』白水社、1999年(原著1991年)

 ヒトラーとは何者だったのか? 彼および彼が作った体制、やらかした事柄、壊した体制などには、様々な謎めいた点がある。有名なヒトラー伝(未訳)も書いている著者イアン・カーショーは、そうした謎のかなりの部分について著者なりの回答を出している。例えば序章で著者は、ヒトラーの権力の鍵を、マックス・ウェーバー由来の概念である「カリスマ的支配」に置いている。面白い。

 以下、興味深い部分を見ていきたい。本書からの引用は引用符で明示する。

 “ヒトラーの世界観は本質的に次の要素から成り立っていた。
第一は、歴史は人種間闘争であるという信念。
第二は、急進的な反セム主義。
第三は、ドイツの未来はロシアを犠牲とした「生存圏」の獲得によってのみ保障されるとの確信。
第四は、これら全要素を統合する、マルクス主義―具体的にはソ連の「ユダヤ・ボルシェビズム」―を撲滅するための生死を賭けた戦いの信念である”

 “ヒトラーはどうして狂信的な反セム主義者になったのか…ある程度確実にいえることは、…自己に対する高い評価と…社会的アウトサイダーとしての現実の自分とのギャップから生じるフラストレーションの捌け口を、いっそうネガティヴなイメージを持つ存在に向けたということ”

 “一九三三年一月のヒトラーの勝利に必然的なものは何もなかった。…ドイツの賠償金支払いを調整するためのヤング案、ウォール街の株価暴落、ブリューニング首相による不必要な国会解散と選挙日程の決定(三〇年九月)のおかげで、ナチ党は政治の表舞台に登場できた”
実際のところ、1928年の選挙でナチスが獲得したのは、投票総数のわずか2.6パーセントだった。それから5年でヒトラーは首相になった。

 「ユダヤ人問題の最終解決」や「生きるに値しない命の抹殺」、戦争による「生存圏の獲得」の進展は一様ではなかった。著者は言う。それは“一九三〇年代末に加速した”。

 第二次大戦の不可避性。“もっともありそうにないシナリオは、ヨーロッパがナチ軍靴の下で平和を持続し、ナチ体制がよく調整された安定的支配形態へと発展することであった。”

 “「最終解決」、すなわちヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅に関するヒトラーの命令文書は残っていない。だが、それは初めから存在しないのである。命令はおそらく口頭で、ヒムラーとハイドリヒに対する簡単な白紙全権委任という形で与えられた” “戦争とユダヤ人は、ヒトラーの頭の中で初めから結びついていた”

 “ヒトラーは、爆撃で破壊された都市をどれひとつとして訪れていない。ヒトラーには、空襲による人びとの苦しみより、建物の破壊の方がショックだった”

 第二次大戦時にはすでに、“系統的な統制方針を作り、優先順位を定め、完全な命令権限を策定する意思と能力が、ヒトラーに備わっていなかった”

 (第二次大戦における)“ドイツの敗戦…の理由は、彼〔ヒトラー〕の統治形態がドイツを戦争へ駆り立てたこと、そして…政治的出口のない戦争となったことにある”

 “ヴァイマル共和国に対するあらゆる抗議勢力の受け皿としてのナチ党”

 良い仕事だと思う。ただ、原注と文献案内が「割愛」されているのは、これから調べていこうとする人にとって親切とはいえず、正直いかがなものかと思う。気が向いたら

文章は思いと習慣―『文章のみがき方』

 辰野和男『文章のみがき方』(岩波新書、2007年)は読みやすい本である。

 初めに吉本ばなな氏のエピソードが出てくる。彼女はスポーツ選手が毎日トレーニングするのと同様に毎日物を書くのだとのこと。この習慣はお父さんの吉本隆明氏譲りのものだろう。いい話である。

 もう一つ印象に残ったのは、「伝えたい切なる思い」を大切にせよ、という著者の言葉である。

中島岳志『ヒンドゥー・ナショナリズム』

 中島岳志ヒンドゥーナショナリズム 印パ緊張の背景』(中公新書ラクレ、2002年)は手堅い本である。

 本書はヒンドゥーナショナリズム団体への参与観察を行った記録である。著者は社会科学の素養をじゅうぶんに活かしており、その分析はかなり行き届いている。
 著者はあとがきで、大塚健洋『大川周明』(中公新書)を推薦しており、「私は約6年前、この本を読んで研究の面白さを知り、研究者になることを決めた」という意味のことを述べている。著者をしてそこまで言わしめる本とはどういうものなのか、がぜん興味が湧いて来るではないか。

 ナショナリズムは毒にも薬にもなる、取扱い要注意のものである。本書に描き出されるヒンドゥーナショナリズム団体のありさまは、どうしても例の「新しい歴史教科書をつくる会」と二重写しになる。我々の問題を考える上で―むろん日本とインドでは諸条件が相当に異なるにせよ―参考になる一冊である。
 なお著者には本書の続編ともいうべき『ナショナリズムと宗教 現代のヒンドゥーナショナリズム運動』(春風社、2005年)もあるようだ。