冷戦後を考察すれば―学ぶところが多かった本

 塩川伸明『冷戦終焉20年』(勁草書房、2010年)は冷戦後の世界、そして未来を考える上で学ぶところが多かった。具体的には、例えば、政治的自由を求める声が高まり体制がひっくり返った結果、経済的自由至上主義がまかり通るようになった旧ソ連とその周辺の事態は、我々にとっても決して他人事ではないということだ。その他にも、学ぶところが非常に多かったので、以下、箇条書きで示す。

・著者はこう指摘している。かつてロシア・ソヴェトを研究する人達は、親ソか反ソか以前にまずソ連を知る必要があり、それが第一だという共通の認識があったというのである。
(最近ある種の雑誌は中国や朝鮮をやり玉に挙げることが多いが、この件を考える際にも示唆的であろう!)

・著者によると、ロシア革命において唱えられた自由は、経済活動の自由というよりも政治的自由であった。「土地とパンを!」というスローガンの中の「土地」には、その公正さの契機が多分に含まれており、エスエル(社会革命党)の「農民的社会主義」はそれを象徴するものであった。

・著者は、革命の掲げる理念としての自由・平等・友愛・調和・効率・秩序などが完全に実現することはありそうにないが、だからといって何の意味もないわけではなく、ある程度ならば実現できるだろう、と言う。決してシニシズムに滑りおちたりはしない。考えてみれば当たり前のことだが…。

・“「ネオ・マルクス派」(あるいは「ポスト・マルクス派」)を名乗る人びとがマルクス…にさかのぼって批判的検討”をしているが、理論のみならず(現実に存在した)諸要因とてらしあわせて考える必要がある、と著者は言う。うなずける主張である。

・著者は、“ソヴェト(評議会)は…「民衆と権力の直接一体性」の観念のために…権力統制メカニズムが欠如”していたとする。この件に関して、
塩川伸明『現存した社会主義』II章3節の参照が求められている。


・重工業優先、軽工業・食品工業・サービス業の低賃金は、後者に女性が多かったことが大きかったと著者は言う。そして、“かなり広い層に…「ささやかな特権」が分配され…指令経済の限界をある意味で補完した”と続ける。さらに、ソ連によく見られたパターンとして、
労働力不足 → 労働強化 → 現場の抵抗でウヤムヤになる
ということがあったのだそうである。

ソ連の「民主主義」としての「上申」や「投書」システムについて。ブレジネフ時代にはブレジネフの引退提案まで出されたことがあるのだそうである! ともあれ、著者によると、ブレジネフ時代は原油が高かったから何とかやって行けた面が大きいらしい。

・著者は言う。“もともと経済改革というものは物価上昇、所得格差拡大、失業発生のおそれなどを伴い、…国民大衆にとっても歓迎されない側面をもつ”たしかに!

・いうなれば教皇でありルターでもあったゴルバチョフ。彼の後期の「社会主義」はすでに事実上、社会民主主義であった。この点について著者は、
アーチー・ブラウン『ゴルバチョフ・ファクター』(藤原書店、2008年)
などを参照するよう求めている。

(あまり関係ないが、私は、歴史における指導者の資質論を含む様々な意味で毛沢東が気になっている。そして私は、市場社会主義の挫折が理論的にも歴史的にも重要だと思う。著者によれば、コルナイ・ヤーノシュは自伝その他で経緯を語っているとのこと。なおコルナイはソ連型の共産主義を「早まった福祉国家」としている。やはり読む必要があるな…)

・中道路線の難しさについて。1917年のロシア二月革命から十月革命に至る急進化は、1991年、ちょうど逆回りに反復されたのかもしれない、と著者は言う。

・著者の言。「民主化と市場社会化」というが、この2つは分けて考える必要がある、とのこと。ここで、ロバート・ダール『デモクラシーとは何か』13-14章の、デモクラシーと資本制の間には敵対的共生ともいうべき関係があるという議論が紹介される。

・著者は言う。“経済面での市場経済化と政治面での権威主義との結合は…むしろありふれている”まあそれはそうだ。

・著者の紹介する岩田昌征の図式。三角形を考え、上に交換(市場経済)、左下に再分配(指令経済)、右下に互酬(協議経済)を置く。最も簡単なのは市場経済で、最も難しいのが協議経済(旧ユーゴスラビア)。指令経済はその中間。
 これに関連して著者は、ユーゴスラビア崩壊への痛恨の思いが描かれた、岩田昌征『現代社会主義・形成と崩壊の論理』(日本評論社、1993年)3章などの参照を求めている。

・著者は、社会には国家・市場・共同体の三つが必要であり、それぞれの併存・抑制・均衡が必要だとする井上達夫の議論を紹介する。具体的には、
井上達夫『他者への自由』(創文社、1999年)2章などを挙げている。

・著者は、“制度としてのリベラル・デモクラシー”の“あるべき実質化の方向としては、市民の政治参加を徹底させていくべきだとするラディカル民主主義論”(かつての「ソヴェト民主主義論」と似たところがある(!))と“市民的自由がどこまで実際に保障されているかを重視する政治的リベラリズム”の二つがあるとする。

・冷戦期の西側対東側という二項対立を乗り越えようとした努力は、冷戦当時からあったと著者は言う。具体的には“「中道左派」ないし「左派リベラル」、「非同盟」路線、あるいは「新左翼」など”だが、「西側の勝利」という大きな波がこれらを押し流してしまった観がある、と。確かに今はこの辺りはなかったかのようになっており、かろうじて雰囲気だけが残っているようにもみえる。

・ドイツの「歴史家論争」。これに関して著者は冷めている。著者はたしかどこかで、ノルテの問題提起は一筋縄ではいかないものであって、あれに浅いレベルで応答した結果がその後尾を引いている、という主旨のことを言っていたと思う。(日本の場合を考える際にも非常に示唆的だと私は思う。)
この件に関して著者が挙げている文献は、J.ハーバーマス他『過ぎ去ろうとしない過去』(人文書院、1995年)とヴォルフガング・ヴィッパーマン『ドイツ戦争責任論争』(未来社、1999年)である。

・近年の、いわば「社会的弱者がさらに弱い者を叩く」光景について。著者は、その一因を、広義の「左翼」「社会主義」が人の心を捉えなくなったことに置く。かつての「左翼」は、どうしてここまで深い幻滅が広がったか、反省する必要がある。反グローバリズム運動家等々は、ソ連等の教訓化を深めることをしていない。

・著者は最後に、ベネディクト・アンダーソン『比較の亡霊―ナショナリズム・東南アジア・世界』(作品社、2005年)から非常に印象的な引用を行っている。あえてここでは紹介しない。各自が本書をひもといていただきたいからである。