ヒトラーをめぐる謎とその解明

Ian Kershaw(著)石田勇治(訳)『ヒトラー 権力の本質』白水社、1999年(原著1991年)

 ヒトラーとは何者だったのか? 彼および彼が作った体制、やらかした事柄、壊した体制などには、様々な謎めいた点がある。有名なヒトラー伝(未訳)も書いている著者イアン・カーショーは、そうした謎のかなりの部分について著者なりの回答を出している。例えば序章で著者は、ヒトラーの権力の鍵を、マックス・ウェーバー由来の概念である「カリスマ的支配」に置いている。面白い。

 以下、興味深い部分を見ていきたい。本書からの引用は引用符で明示する。

 “ヒトラーの世界観は本質的に次の要素から成り立っていた。
第一は、歴史は人種間闘争であるという信念。
第二は、急進的な反セム主義。
第三は、ドイツの未来はロシアを犠牲とした「生存圏」の獲得によってのみ保障されるとの確信。
第四は、これら全要素を統合する、マルクス主義―具体的にはソ連の「ユダヤ・ボルシェビズム」―を撲滅するための生死を賭けた戦いの信念である”

 “ヒトラーはどうして狂信的な反セム主義者になったのか…ある程度確実にいえることは、…自己に対する高い評価と…社会的アウトサイダーとしての現実の自分とのギャップから生じるフラストレーションの捌け口を、いっそうネガティヴなイメージを持つ存在に向けたということ”

 “一九三三年一月のヒトラーの勝利に必然的なものは何もなかった。…ドイツの賠償金支払いを調整するためのヤング案、ウォール街の株価暴落、ブリューニング首相による不必要な国会解散と選挙日程の決定(三〇年九月)のおかげで、ナチ党は政治の表舞台に登場できた”
実際のところ、1928年の選挙でナチスが獲得したのは、投票総数のわずか2.6パーセントだった。それから5年でヒトラーは首相になった。

 「ユダヤ人問題の最終解決」や「生きるに値しない命の抹殺」、戦争による「生存圏の獲得」の進展は一様ではなかった。著者は言う。それは“一九三〇年代末に加速した”。

 第二次大戦の不可避性。“もっともありそうにないシナリオは、ヨーロッパがナチ軍靴の下で平和を持続し、ナチ体制がよく調整された安定的支配形態へと発展することであった。”

 “「最終解決」、すなわちヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅に関するヒトラーの命令文書は残っていない。だが、それは初めから存在しないのである。命令はおそらく口頭で、ヒムラーとハイドリヒに対する簡単な白紙全権委任という形で与えられた” “戦争とユダヤ人は、ヒトラーの頭の中で初めから結びついていた”

 “ヒトラーは、爆撃で破壊された都市をどれひとつとして訪れていない。ヒトラーには、空襲による人びとの苦しみより、建物の破壊の方がショックだった”

 第二次大戦時にはすでに、“系統的な統制方針を作り、優先順位を定め、完全な命令権限を策定する意思と能力が、ヒトラーに備わっていなかった”

 (第二次大戦における)“ドイツの敗戦…の理由は、彼〔ヒトラー〕の統治形態がドイツを戦争へ駆り立てたこと、そして…政治的出口のない戦争となったことにある”

 “ヴァイマル共和国に対するあらゆる抗議勢力の受け皿としてのナチ党”

 良い仕事だと思う。ただ、原注と文献案内が「割愛」されているのは、これから調べていこうとする人にとって親切とはいえず、正直いかがなものかと思う。気が向いたら